史実の根拠 - 学術的検証

「戦国時代に農民は戦わなかった」という主張:学術研究は歴史修正主義的主張にどう答えるか

Tags: 戦国時代, 兵農分離, 農民, 武士, 学術研究, 日本史, 歴史修正主義

はじめに

戦国時代と聞くと、「侍」と呼ばれる武士たちが刀を振るって戦う姿を思い浮かべる方が多いかもしれません。そして、「農民は田畑を耕すだけ」といった、武士と農民の役割が完全に分かれていたかのようなイメージをお持ちの方もいらっしゃるかもしれません。こうしたイメージの背景には、「兵農分離」という言葉が広く知られていることがあるでしょう。

しかし、インターネット上などでは、「戦国時代にはすでに兵農分離が徹底されており、農民は一切戦場に出なかった」といった主張が見られることがあります。このような主張は、特定の歴史観を強調するために用いられることも少なくありません。

本稿では、こうした「戦国時代に農民は戦わなかった」という主張が、学術的な研究成果や史料によってどのように評価されているのかを、分かりやすく解説していきます。学術的な視点から、この主張の根拠の有無を探ることで、歴史に関する情報の信頼性を判断するための手がかりを提供することを目指します。

「戦国時代に農民は戦わなかった」とは

ここで取り上げる歴史修正主義的な主張は、概ね以下のような内容です。

このような主張は、「武士」という存在を特別なものとして理想化したり、戦国時代の社会構造を極めて単純化したりする文脈で語られることがあります。

学術的根拠による反証

では、このような「戦国時代に農民は戦わなかった」という主張は、学術的な歴史研究においてどのように捉えられているのでしょうか。結論から申し上げますと、この主張は、多くの史料や研究成果に照らして、根拠がないか、あるいは誤りであると考えられています。

学術的な歴史研究では、「兵農分離」は戦国時代を通じて段階的に進行したプロセスであり、特に戦国時代の前半から中盤にかけては、武士と農民の身分が明確に分かれているとは言えない状況であったことが指摘されています。

具体的な証拠としては、以下のような史料や研究があります。

  1. 軍役に関する史料: 戦国大名が家臣や領民に課した軍役(戦に参加する義務や、それに代わる負担)に関する文書が各地に残されています。これらの文書を見ると、石高(土地の生産力に基づいた基準)に応じて、地域の住民、つまり多くの場合は農業を主な生業とする人々が、武器を持って動員されていた記録が多数見られます。例えば、ある大名の軍役帳には、特定の村落から何名の人員を出すべきか、その際に持参すべき武器や防具が指定されていることがあります。これは、農民が戦いに参加していた何よりの証拠です。
  2. 分国法(戦国大名の定めた法): 戦国大名が領国を治めるために定めた法律の中にも、戦時の動員に関する規定が見られます。これらの規定もまた、農業に従事する人々を含む幅広い層が戦いに参加することを前提としている内容を含んでいます。
  3. 合戦記録や日記: 『信長公記』をはじめとする当時の合戦記録や武将の日記、家臣が書き残した覚書などにも、「足軽」「中間(ちゅうげん)」「小者(こもの)」といった身分の人々が多数戦闘に参加し、活躍したり、あるいは犠牲になったりした記述が見られます。これらの人々の中には、普段は農業やその他の生業に従事している者が多く含まれていました。彼らは必ずしも「侍」身分ではなかったのです。
  4. 考古学的発見: 戦国時代の城跡や合戦場の発掘調査においても、大量の矢じりや刀の破片、あるいは簡素な防具の類が発見されることがあります。これらは、正規の武士ではない、多くの人々が武器を持って戦った痕跡と解釈されています。

学術的な理解では、戦国時代の軍隊は、「侍」と呼ばれる騎馬や槍を主武装とする上級武士に加え、徒歩で弓や槍、あるいは後に鉄砲を扱う「足軽」、そしてさらに身分の低い「中間」や「小者」など、様々な階層の人々で構成されていました。そして、これらの下層の人々の多くは、平時には農村で暮らしており、戦時に領主によって動員される存在でした。いわば、彼らは「パートタイムの兵士」であったと言うことができます。

兵農分離が本格的に進展し、農民が農業に専念して軍役から解放され、武士が城下町などに集住して俸禄によって生活するようになるのは、豊臣秀吉が行った太閤検地や刀狩、そして江戸時代における身分制度の確立を待つ必要があります。戦国時代は、まさに武士が専業化し、農民から切り離されていく過渡期だったのです。

したがって、「戦国時代に農民は一切戦わなかった」という主張は、当時の社会構造や軍事動員の実態に関する豊富な史料と学術的な研究成果に明らかに反しています。これは、歴史の複雑な実態を無視し、特定のイメージに合わせて単純化された主張であると言わざるを得ません。

まとめ

本稿では、「戦国時代に農民は戦わなかった」という歴史修正主義的主張が、学術的な観点からどのように評価されているかを見てきました。

学術的な研究に基づけば、戦国時代のいわゆる「兵農分離」はまだ完全に確立しておらず、多くの農民が「足軽」や「雑兵」といった形で戦いに深く関わっていたことが、数多くの史料や考古学的発見によって裏付けられています。彼らは戦国時代の軍事力を支える重要な一員でした。

歴史に関する様々な情報に触れる際には、特定のイメージや単純化された主張に飛びつくのではなく、当時の史料が何を語っているのか、そしてそれに基づいた学術的な研究がどのような結論を出しているのかに目を向けることが重要です。学術的根拠に基づいた視点を持つことで、歴史の複雑さや多様性を正しく理解し、情報に惑わされることなく、より確かな知識を身につけることができるでしょう。