「日本は古代から侵略されたことがない」という主張:学術研究は歴史修正主義的主張にどう答えるか
はじめに
インターネットやSNSで、「日本は古代から一度も他国に侵略されたことがない」という主張を見かけることがあるかもしれません。この主張は、日本という国が常に外部からの脅威から守られてきた、あるいは自主独立の道を歩んできた、といったイメージと結びついて語られることがあります。しかし、歴史学の視点から見ると、この主張は史実とどのように照合されるのでしょうか。
歴史に関する様々な情報が溢れる中で、何が学術的に裏付けられた事実で、何がそうでないのかを判断することは容易ではないかもしれません。この記事では、「日本は古代から侵略されたことがない」という主張に対し、学術的な研究成果や確かな証拠がどのように示されているのかを解説し、歴史に関する情報を判断する上での一助となることを目指します。
「日本は古代から侵略されたことがない」とは
この主張は、文字通り、日本列島やそこに住む人々が、歴史を通じて他の国や勢力から武力によって主権や領土を侵害されるという経験をしたことがない、という考え方です。特に「古代から」という言葉が含まれることで、非常に長い歴史スパンにおいて、日本が外部からの軍事的干渉を受けなかったというニュアンスで語られることが多いようです。
学術的根拠による反証
学術的な視点からこの主張を検証する場合、「侵略」という言葉の定義も重要になります。歴史学や国際関係論において「侵略」は、一般的に、ある国家や政治勢力が、他国の主権や領土に対して、武力を用いて不法に干渉し、これを侵害する行為を指します。この定義に基づき、日本史における事例を見ていきます。
最も明白な反証事例として挙げられるのは、13世紀後半、鎌倉時代に起こった元寇(げんこう)です。モンゴル帝国(元)と、それに服属した高麗(こうらい)が、日本に対して二度にわたり大規模な軍事侵攻を試みました。
一度目は1274年の文永の役(ぶんえいのえき)、二度目は1281年の弘安の役(こうあんのえき)です。これらの出来事は、単なる小規模な襲撃や海賊行為とは明確に異なります。当時の元朝の皇帝フビライ・ハンの命令に基づき、国家レベルの意思決定と組織的な動員によって行われた、日本列島への上陸と征服を目的とした大規模な軍事行動でした。これはまさに、他国の主権と領土に対する、国家を挙げた武力による侵害行為であり、学術的な定義における「侵略」に他なりません。
元寇については、当時の日本の史料である『蒙古襲来絵詞(もうこしゅうらいえことば)』や、中国の史書である『元史(げんし)』、朝鮮半島の史書である『高麗史(こうらいし)』など、複数の信頼できる同時代史料が存在し、大規模な艦隊が編成され、兵士が乗船し、実際に日本の沿岸部に上陸して戦闘が行われたことが詳細に記録されています。
さらに、近年では考古学的な調査も進んでいます。九州の福岡湾沿岸からは、元軍の再襲来に備えて日本側が築いたとされる大規模な石塁(せきるい、石を積み上げた防壁)の遺構が多数発見されています。また、長崎県の鷹島(たかしま)沖の海底からは、元寇で使用された船の部材や、当時の兵器、生活用品などが多数引き上げられており、これらは当時のモンゴル・高麗軍が実際に日本へ大規模な艦隊を差し向け、戦闘や上陸を試みたことの動かしがたい物理的な証拠となっています。
これらの史料や考古学的発見は、元寇が単なる伝説や誇張ではなく、当時の日本にとって国家存亡の危機ともいえる、明確な「侵略」の試みであったことを、学術的に強力に裏付けています。
「古代から」という言葉に含まれる厳密な時代区分によっては解釈の幅が生じる可能性もありますが、一般的に「古代から」という主張が漠然と過去全体を指す場合、中世の元寇は最も典型的な反証事例として挙げられます。さらに、豊臣秀吉による朝鮮出兵(16世紀末)も、朝鮮半島という他国に対する大規模な武力行使であり、その性質は学術的には「侵略戦争」と位置づけられています。
したがって、「日本は古代から侵略されたことがない」という主張は、元寇をはじめとする歴史上の具体的な出来事や、それを裏付ける豊富な史料・考古学的証拠によって、学術的な観点からは成り立たないことが明らかです。
まとめ
「日本は古代から侵略されたことがない」という主張は、一見、日本の歴史に関する特徴を捉えているように見えるかもしれません。しかし、学術的な研究成果や具体的な史料・証拠に照らすと、この主張は史実と合致しないことが分かります。特に、中世の元寇は、国家規模で行われた明確な侵略の試みであり、当時の史料や近年の考古学的発見によってその事実が裏付けられています。
歴史に関する情報は多岐にわたり、時には専門的な知見がなければその真偽を判断しにくいものもあります。そのような時、個別の主張がどのような学術的な根拠に基づいているのか、あるいはどのような証拠によって否定されているのかを知ることが、混乱を解消し、歴史の多様な側面に触れる上で非常に重要となります。
これからも、史実に基づいた信頼できる情報に目を向け、学術的な視点から歴史を読み解くことの重要性を認識していただければ幸いです。