史実の根拠 - 学術的検証

日本書紀・古事記は正確な史実を記した歴史書であるという主張:学術研究は歴史修正主義的主張にどう答えるか

Tags: 日本書紀, 古事記, 史料批判, 古代史, 歴史学

はじめに

私たちの国、日本の歴史を知る上で、『古事記』や『日本書紀』は非常に重要な文献であると認識されています。これらの書物には、神話の時代から天皇の治世に至るまで、国の成り立ちや歴史が記されています。しかし、インターネットや書籍などで、「これらの書物に書かれていることは、神々の時代や初代天皇の記述も含めて、全て一点の曇りもない正確な歴史的事実である」といった主張に触れることがあるかもしれません。

このような主張は、日本の歴史を深く知りたいと願う方にとって、どのように受け止めるべきか混乱を招く可能性があります。専門的な歴史研究では、これらの書物をどのように位置づけ、どのように読み解いているのでしょうか。

この記事では、「日本書紀・古事記に書かれている内容は全て正確な史実である」という主張に対して、現代の歴史学がどのように向き合っているのかを、学術的な視点から分かりやすく解説いたします。

日本書紀・古事記は正確な史実を記した歴史書であるという主張とは

まず、『古事記』と『日本書紀』について簡単に説明します。これらは、それぞれ和銅5年(712年)と養老4年(720年)に、当時の朝廷によって編纂された日本の歴史書です。天武天皇の詔により編纂が始まり、神話時代から神々の系譜、国の誕生、そして天皇たちの治世が記されています。特に『日本書紀』は、編年体という形式で記述されており、中国の正史を意識した構成となっています。

ここで問題となるのは、「これらに記された神代の物語から、初期の天皇の事績に至るまで、文字通り全てが歴史的事実として正確に記述されている」とする主張です。さらに進んで、これらの書物以外に記されていることや、考古学的な発見などが、日本書紀・古事記の記述と異なる場合に、「日本書紀・古事記こそが正しく、他の情報は誤りである」と主張する立場も見受けられます。

学術的根拠による反証

では、このような主張に対して、学術的な歴史研究はどのように論じているのでしょうか。現代の歴史学では、史料を批判的に読み解く「史料批判」という方法論を非常に重視しています。歴史上の出来事を知るためには、同時代に書かれた記録や、後世に残された文献、あるいは遺跡や遺物といった史料を基にする必要があります。しかし、史料はそれを書いた人や作られた時代の状況、目的によって、記述に偏りがあったり、意図的な改変が加えられていたりする可能性があります。そのため、書かれていることをそのまま鵜呑みにせず、「いつ、誰が、どのような目的で、どのような情報源に基づいて書いたのか」を吟味し、他の史料や証拠と照らし合わせながら、慎重に事実を再構築していく作業が必要となるのです。

この史料批判の観点から見ると、「日本書紀・古事記は全て正確な史実である」という主張は、いくつかの点で学術的な根拠に乏しいと言わざるを得ません。

  1. 編纂の時代と目的: 日本書紀や古事記が編纂されたのは8世紀初頭、奈良時代です。これは、書物に記されている初代神武天皇の即位やそれ以前の神話時代から、数百年以上、あるいは千年以上の時間が経過しています。また、編纂の最も重要な目的の一つは、天皇を中心とする当時の律令国家の正当性や権威を国内外に示すことでした。そのため、記述には、当時の政治状況や、中国など周辺諸国を意識した意図が反映されていると考えられています。例えば、記述の表現や構成が中国の歴史書の影響を受けている点などが指摘されています。学術論文では、これらの書物の記述が、特定の政治的・思想的意図に基づいて構成されている過程が詳細に分析されています。

  2. 記述の性質と整合性: 神話部分に描かれる神々の活動や、初期の天皇の非常に長いとされる在位年数などは、客観的な歴史的事実としてそのまま解釈することは困難です。例えば、ある天皇の在位が100年を超えているという記述は、人間の平均寿命や当時の社会状況を考えると、文字通りの年数ではなく、系譜を遡らせるために後世に調整された可能性が学術的に指摘されています。また、これらの書物に記された特定の出来事や年代が、同時代の他の史料(例えば、朝鮮半島の史書や中国の史書など)や、考古学的な発掘によって得られた証拠と整合しない、あるいは大きく異なるケースも存在します。学術研究では、このような記述の矛盾や不自然さを指摘し、それがなぜ生じたのかを、当時の社会背景や編纂過程に遡って考察しています。

  3. 複数の情報源の取捨選択と編集: 日本書紀や古事記を編纂するにあたっては、朝廷に伝えられていた様々な伝承、記録、口述などが集められ、取捨選択・編集が行われました。つまり、記されている内容は、当時の編纂者たちが様々な情報源を基に構成したものであり、それが当時の「公式見解」としてまとめられたものです。異なる伝承が併記されている箇所もありますが、基本的には編纂者たちの意図に基づいて記述が整理されています。これは、現代の歴史家が複数の史料を比較検討するのとは異なり、特定の目的のために情報が選ばれ、あるいは加工された可能性を示唆します。

学術的な歴史研究では、日本書紀や古事記は、当時の朝廷が自らの正当性や歴史認識をどのように表現しようとしたのかを知る上で、また、そこに組み込まれた古い時代の伝承の一部から、当時の社会や文化を推測する上で、極めて貴重な史料であると位置づけています。しかし、そこに書かれていることを無批判に全て史実として受け入れるのではなく、あくまで史料批判を行い、考古学的な発見、木簡や金石文といった同時代の他の文字史料、さらには中国や朝鮮半島の史書などの情報と多角的に照らし合わせながら、古代の歴史像を慎重に再構築するための手がかりとして活用しています。

したがって、「日本書紀・古事記の記述は全て正確な史実である」という主張は、史料の性質や編纂目的を無視し、史料批判という歴史学の基本的な方法論を適用していないため、学術的な観点からは根拠が薄いと言わざるを得ないのです。

まとめ

この記事では、「日本書紀・古事記に書かれている内容は全て正確な史実である」という主張について、学術的な歴史研究の立場から解説しました。

結論として、日本書紀や古事記が日本の古代を知る上で非常に価値の高い史料であることは間違いありません。しかし、それらに記された内容を、編纂の時代や目的、記述の性質を考慮せずに、文字通り全て正確な歴史的事実であるとみなすことは、現代の歴史学では支持されていません。学術研究は、史料批判という厳密な手続きを通じて、これらの書物をはじめとする様々な証拠を注意深く分析し、歴史的事実を再構築しようとしています。

インターネットやSNSなどで様々な歴史に関する情報に触れる機会が多い現代において、どのような情報源に基づいているのか、その情報がどのように解釈されているのかを考えることは、信頼できる歴史理解へと繋がる重要な一歩となります。学術的な視点は、私たちが歴史に関する情報を判断する上で、混乱を解消し、より確かな知識を得るための助けとなるでしょう。