史実の根拠 - 学術的検証

関東大震災時の朝鮮人虐殺否定論:学術研究は歴史修正主義的主張にどう答えるか

Tags: 関東大震災, 朝鮮人虐殺, 歴史修正主義, 学術研究, 史料批判

はじめに

1923年に関東地方を襲った未曽有の大震災は、多くの尊い命と社会基盤を奪いました。この混乱の中で、流言飛語が広まり、多くの朝鮮人や一部の中国人が自警団や軍・警察などによって殺害されるという痛ましい出来事が発生しました。

この出来事について、近年インターネット上などで「朝鮮人への組織的な虐殺は存在しなかった」「流言飛語による混乱の中での偶発的な出来事、あるいは自警団による正当防衛だった」といった主張が見られます。このような主張は、震災時に何が起きたのかという歴史認識を混乱させる可能性があります。

本記事では、このような主張に対して、歴史学などの学術研究がどのように向き合い、どのような史料や論証に基づいてその根拠の弱さや誤りを示しているのかを解説します。学術的な視点から、この歴史修正主義的主張がなぜ成り立たないのかを見ていきましょう。

「関東大震災時に朝鮮人への組織的な虐殺はなかった」とする主張とは

この種の主張は、しばしば以下のような論点を含んでいます。

これらの主張は、震災時に発生した朝鮮人殺害の歴史的な事実を軽視したり、その性質を歪曲したりする傾向があります。しかし、これらの主張は学術的な検証に耐えうるものなのでしょうか。

学術的根拠による反証

歴史学をはじめとする学術研究は、特定の史料だけでなく、多様な一次史料(当時の記録や証拠)を批判的に検討し、多角的な視点から過去の出来事を分析します。関東大震災時の朝鮮人殺害についても、多くの研究者が史料に基づいた詳細な実証研究を行ってきました。これらの研究は、「組織的な虐殺はなかった」「正当防衛だった」とする主張に対して、明確な反証を提示しています。

1. 史料が示す組織性と殺意

当時の公文書、例えば内務省の報告書、警保局の記録、各地の警察署の報告、裁判記録などは、流言飛語が広まったこと自体は事実であると記しています。しかし、これらの史料は同時に、単なる偶発的な小競り合いや正当防衛では説明できない、意図的な殺害行為が広範に行われたことも記録しています。

具体的には、以下のような事実が史料から明らかになっています。

2. 研究蓄積による犠牲者数の検証

学術研究では、当時の様々な史料(公文書、新聞記事、個人の日記、証言録など)を照合し、犠牲者数の推計を試みています。正確な数は確定が困難であるものの、多くの研究者が数千人規模の朝鮮人が殺害されたという見解で一致しています。内務省が公式に認めた犠牲者数でさえ、数百人に上ります。これは、流言飛語による一時的なパニックや自衛では到底説明できない規模の犠牲であり、広範な殺害行為があったことを裏付けています。

3. 「正当防衛」論の破綻

「自警団の行動は正当防衛だった」という主張は、前述のような史料に基づいた事実によって容易に否定されます。多くの犠牲者が非武装であり、抵抗する術を持たなかったこと、自警団側が一方的に暴力を行使したこと、殺害方法の残虐性などは、「身を守るための行動」とは根本的に性質が異なります。むしろ、震災による社会秩序の崩壊に乗じて、特定の集団に対する差別や偏見が暴力という形で噴出したものとして学術的には理解されています。

これらの学術的な知見は、特定の史料や論証に基づいています。歴史研究は、感情論や憶測ではなく、残された証拠を丹念に読み解くことによって、過去の真実に迫ろうとします。

まとめ

関東大震災時に発生した朝鮮人殺害について、「組織的な虐殺は存在せず、単なる偶発的な出来事や正当防衛だった」とする歴史修正主義的主張は、当時の公文書や様々な記録といった具体的な史料に基づいた学術研究によって、その根拠が乏しいことが示されています。

学術的な研究は、単なる流言飛語や混乱だけでは説明できない、一定の組織性を持った殺害行為が広範に行われたこと、軍や警察の一部がこれに関与または容認したこと、そしてその犠牲が数千人規模に及んだ可能性が高いことを明らかにしています。これらの事実は、「正当防衛」という言葉では説明できない一方的な暴力であったことを示しています。

私たちは歴史に関する情報に触れる際、特定の主張を鵜呑みにするのではなく、どのような史料に基づいているのか、複数の視点からの検証がなされているのかといった、学術的な視点から判断することの重要性を改めて認識する必要があります。信頼できる歴史理解は、学術的な探求の積み重ねの上に成り立っているのです。