「神武天皇による建国は史実である」という主張:学術研究は歴史修正主義的主張にどう答えるか
はじめに
日本の建国について語られる際、初代天皇とされる神武天皇が紀元前660年に国を建てたとされる物語がしばしば言及されます。この物語は日本の歴史や文化において非常に重要な位置を占めていますが、その内容が「史実」であるかどうかについては、専門家の間でも、また一般の間でも議論となることがあります。特に、神武天皇による建国を歴史的事実として厳密に捉えようとする主張が見られることがあります。
この記事では、「神武天皇による建国は史実である」という主張がどのようなものかを確認し、それに対して現在の学術的な歴史研究がどのような知見を示しているのかを解説します。学術的な視点から見ると、なぜこの主張をそのまま受け入れることが難しいのか、その根拠を具体的に説明します。
「神武天皇による建国は史実である」という主張とは
この主張は、主に日本の古典籍である『古事記』や『日本書紀』に記述されている神武天皇の物語を根拠として、神武天皇が実際に存在した歴史的人物であり、これらの文献に記された通りに国土を平定し、初代天皇として国家を樹立したという考えに基づいています。特に、『日本書紀』が記す紀元前660年という年を、そのまま日本の建国年として史実とみなすことが含まれる場合が多く見られます。
この考えは、日本の長い歴史や伝統を重んじる立場から述べられることがありますが、歴史学の分野で一般的に受け入れられている見解とは異なります。
学術的根拠による反証
学術的な歴史研究では、「神武天皇による建国は史実である」という主張を、そのまま歴史的事実として扱うことはありません。その理由は複数ありますが、主なものを以下に説明します。
まず、神武天皇の物語が記されている『古事記』(712年成立)と『日本書紀』(720年成立)は、それぞれの編纂当時の政治的・文化的背景を持ってまとめられた文献です。これらの文献は、神武天皇の時代とされる紀元前7世紀から千年近く後の時代に書かれています。遠い過去の出来事を記す上で、正確な記録ではなく、当時の伝承、神話、系譜などが多分に含まれていると考えられています。
学術研究においては、これらの文献は当時の人々の世界観や、いかにして天皇を中心とする国家が形成されたと考えられていたのかを知る上で非常に貴重な史料と位置づけられています。しかし、そこに書かれている内容、特に神話的な要素が強い初期の天皇に関する記述を、文字通り「歴史的事実」として証明する信頼できる同時代の証拠(例えば、当時の文字記録や考古学的な発見など)は、現在のところ見つかっていません。
次に、考古学的な知見との整合性の問題があります。神武天皇の時代とされる紀元前7世紀頃の日本列島は、まだ国家と呼べるような統一的な政治権力は存在しておらず、各地に小規模なクニ(地域社会)が分立していた段階であったと考えられています。この時期の考古学的な遺跡や遺物からは、大和朝廷が成立し、広範囲を統治していたとされる『古事記』や『日本書紀』に描かれるような社会構造や権力の実態を裏付ける証拠は見つかっていません。例えば、弥生時代中期にあたるこの頃に、畿内を中心に九州から東国までを支配するような強力な王権が存在したとは、現在の考古学的な発見からは考えにくい状況です。
学術的な歴史学は、特定の文献のみに依存するのではなく、考古学的な証拠、同時代の他国の記録、言語学的な分析など、様々な分野の研究成果を総合的に検討することで歴史像を構築しようとします。『古事記』や『日本書紀』に記された神武天皇の物語は、これらの学問分野からの知見と照らし合わせると、そのまま史実として受け入れるには無理がある点が多く見られます。神武天皇の物語は、むしろ後の時代に天皇家の正統性や日本の国家としての起源を語るために形成された「建国神話」として理解するのが、学術的な見解です。これは、世界各国の古代史に見られる建国神話と同様の性格を持つものと捉えられています。
まとめ
「神武天皇による建国は史実である」という主張は、日本の古い文献に記された物語を文字通りに捉えるものです。しかし、学術的な歴史研究においては、『古事記』や『日本書紀』が編纂された時代や背景、その文献に含まれる神話的な要素、そして当時の考古学的な知見との整合性などを総合的に考慮した結果、神武天皇の実在や紀元前660年の建国といった記述を、そのまま歴史的事実として証明することは困難であると判断されています。
現在の学術的な見解では、神武天皇の物語は、古代の人々が日本の成り立ちや天皇の権威についてどのように考えていたのかを知るための重要な手がかりであり、日本の文化的・思想的な側面を理解する上で不可欠なものと捉えられています。しかし、これを歴史的事実として扱うことには慎重な姿勢が取られています。歴史に関する様々な情報に触れる際には、どのような根拠に基づいてその主張がなされているのか、学術的な知見と照らし合わせて考えることが、信頼できる情報を見極める上で重要となります。