「朝鮮通信使は朝貢使節だった」という主張:学術研究は歴史修正主義的主張にどう答えるか
はじめに
歴史に関する情報を得る手段が多様化した今日、インターネットやSNSなどを通じて、様々な歴史的な出来事についての見解に触れる機会が増えています。その中には、学術的な研究成果に基づかない、あるいは意図的に歪曲された歴史認識を広めようとする主張も散見されます。例えば、江戸時代に李氏朝鮮から日本へ派遣された朝鮮通信使について、「これは日本が朝鮮の属国であり、貢ぎ物を受け取る朝貢使節だった」とする主張を目にすることがあります。
この記事では、この「朝鮮通信使は朝貢使節だった」という主張を取り上げ、それが学術的な視点から見て、どのような根拠に基づいて否定されているのかを具体的に解説いたします。歴史の事実を正しく理解するためには、信頼できる学術的な研究に基づく情報がいかに重要であるかをお伝えすることを目的としています。
「朝鮮通信使は朝貢使節だった」とは
この主張は、朝鮮通信使が日本へ来たこと自体を、日本が李氏朝鮮よりも格下であったことの証拠と捉え、使節の派遣目的を李氏朝鮮から日本への「朝貢」(より上位の国に対する貢納と服属の意思表示)であったとするものです。これは、近世における日朝関係を、中国を中心とした東アジアの冊封体制(皇帝が周辺国の君主を任命し、貢納を受け、その地位を保証する関係性)の枠組みに当てはめ、日本がその体制内で朝鮮に服属していたかのようなイメージで語られることが多いようです。
このような主張の背景には、主に近現代の日朝関係の歴史認識における特定の視点や感情があると考えられますが、その内容自体が歴史的事実と合致するのかどうかが問われます。
学術的根拠による反証
では、「朝鮮通信使は朝貢使節だった」という主張は、学術的な研究によってどのように否定されているのでしょうか。歴史学の研究者たちは、朝鮮通信使に関する李氏朝鮮側と日本側の双方の公式記録、関連する文書、当時の外交儀礼に関する知見などを詳細に分析することで、その実態を明らかにしてきました。
学術研究によって明らかになっている主要な点を挙げます。
- 派遣目的の相違と「交隣」の関係: 朝鮮通信使は、李氏朝鮮から日本へ派遣された外交使節団です。李氏朝鮮にとって、日本との関係は中国との冊封関係とは異なる「交隣(こうりん)」、すなわち隣国として互いに対等な立場で友好的な関係を保つことを基本とするものでした。通信使の派遣は、主に日本の将軍の代替わりを祝賀し、平和的な関係を維持するための相互交流を目的としていました。日本側も、将軍の威信を示すとともに、対馬藩を介した貿易を含む朝鮮との関係を安定させることを目的として、通信使を受け入れていました。
- 儀礼と形式: 朝貢は、通常、格下の国が格上の国に対して行い、貢物を献上し、その君主(皇帝など)から封を受け、服属の証として行われる儀礼です。しかし、朝鮮通信使の来日時の儀礼は、朝貢のそれとは大きく異なります。例えば、李氏朝鮮国王から日本の将軍へ送られる「国書」に対して、将軍はこれに丁寧な返書を作成しています。これは、格下の国からの朝貢使節に対する対応とは異なり、相手を国家として、またその君主を権威ある存在として認めていることを示しています。
- 「通信」の意味: 「通信使」という名称自体も重要です。当時の東アジアにおいて、「通信」という言葉は、単なる朝貢とは区別され、国家間の対等、あるいはそれに近い関係性のもとで行われる外交的な交流や意思疎通を意味することが多かったとされています。
- 史料に基づく実態: 朝鮮通信使の全行程や日本側とのやり取りの詳細を記録した李氏朝鮮側の『海槎録(かいさろく)』などの記録や、幕府側の公式記録などを分析すると、双方の代表者が互いに儀礼を尽くし、国書や贈答品の交換を行い、詩文の交流や文化的な相互理解を深めようとしていた様子がうかがえます。確かに、使節の受け入れにかかる費用や、日本側が下賜(かし、目上の者が目下の者に物を与えること)の形式で贈答品を渡すなど、形式的な側面だけを切り取れば上下関係を示唆するとも解釈しうる要素がないわけではありません。しかし、これは当時の東アジアにおける複雑な外交儀礼の一側面であり、全体として見た時に、中国王朝に対する朝貢とは明確に区別される性格のものであることが、多くの史料と研究によって裏付けられています。学術的な研究では、こうした儀礼や形式の背景にある双方の政治的・経済的意図や、当時の国際秩序の中での位置づけなどを総合的に考慮して分析を行います。その結果、「朝貢使節であった」と結論づけるには、史料的な根拠が圧倒的に不足している、あるいは史料を無視・歪曲していると判断されています。
学術的には、朝鮮通信使は、江戸幕府と李氏朝鮮という二つの政権が、東アジアの国際秩序の中で、互いの国益や威信を考慮しつつ、平和的な関係を維持するために行った、独特な性格を持つ外交使節団であったと理解されています。「朝貢使節」という単純な枠組みでは捉えられない、複雑で儀礼的な交流であったことが、多くの研究によって明らかにされているのです。
まとめ
「朝鮮通信使は朝貢使節だった」という主張は、学術的な研究成果や、当時の外交史料に基づいて検証すると、根拠がない、あるいは誤りであると結論づけられます。李氏朝鮮と日本の間には、中国王朝と周辺国のような一方的な冊封・朝貢関係はなく、「交隣」を基本とした、対等に近い(あるいは複雑な力学を含む)独自の外交関係が存在していました。朝鮮通信使は、この関係性の中で、平和的な交流と相互理解を目的として派遣された使節団であり、その実態は朝貢使節とは明確に異なります。
歴史に関する情報に触れる際には、その情報がどのような根拠に基づいているのか、特に信頼できる学術的な研究によって裏付けられているのかを確認することが大切です。学術的な視点は、特定の感情やイデオロギーに偏らず、史料や証拠に基づいて歴史の事実を客観的に理解するための重要な羅針盤となります。